入院した話

わたしは、10代のころからひどい生理痛に悩んでいました。
高校の時は、電車に乗って次の駅に降りるほど吐き気やお腹の痛み、出血の量が多かったのです。
そして、病院にいったら子宮内膜症と診断されました。
それから、生理痛を抑えるためにボルタレンの痛みどめを、生理痛が来るたびに飲んでました。
その後、外資系のホテルに就職しました。外資系のホテルなので、女性と男性の扱いは同等です。
シフトで丸一か月間、夜勤が続きました。その後も続きます。
そのときは、病院で保険のきかない注射、2万円もするものを腕にうっていました。
体を壊したので退職し、子宮内膜症を軽くするためには結婚して、妊娠するのが一番よいと言われました。
そして、数年後わたしは結婚をしました。妊娠もしました。産院に行ってみると、妊娠をしてはいるのですが、赤ちゃんの姿が見つからない、心音が聞こえないと言われました。わたしは、信じられませんでした。
妊娠したのに赤ちゃんが成長していないということが理解できなかったです。
そして、諦めれず違う病院へ行きました。すると、やはり流産しないといけないと言われました。
流産の他に絨毛癌の恐れがる胞状奇体になっていると言われ、すぐに入院することになったのです。
胞状奇体とは、ブドウっ子と言われています。妊娠したままほっておくと、絨毛が異常に繁殖して癌になると可能性が高いと言われたのです。
おそらく、わたしの赤ちゃんはこの世に生まれてくることはできないけど、お母さんである私に癌の可能性があることを教えてくれて助けてくれたんだと思いました。手術中は、麻酔をかけられました。
しかし、麻酔が完全きかなくて、手術中のことを覚えています。
手術中は、音楽が流れていました。そして、幻想を見ました。しかし、子宮の痛みも感じました。麻酔が中途半端にきいていたせいでしょう。
せっかくできた小さな命は、2カ月という短い期間ではありましたがわたしのお腹の中にいたのです。これから、この子の分まで自分の命を大切にしようと思いました。
手術後、最低2年くらいは子供を作ってはいけないと医師から告げれました。また、絨毛癌なのか正常妊娠したかどうかわからないからです。
わたしは、1カ月に一回定期的に通院して状態を診てもらいました。
街を歩いてると、若い夫婦がかわいい赤ちゃんを連れて、うれしそうに幸せそうにしている姿がうらやましかったです
。わたしは、そのときもし自分の赤ちゃんが生まれていたら、何カ月だろう、何歳かなとか想像してしまいました。
それから、2年後私は元気な男の子を授かりました。

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